2008.07.21生保のCMに透けてみえるもの。
保険金の支払い漏れ問題の後、「おひとりおひとりの契約内容を確認してまわります」とアピールしているタイプの生保のCMを目にしたが、これには妙な違和感を感じた。「約款の文字を大きくして読みやすくしました」などというプレスリリースも同じだ。
契約をわかりやすくしたり、フォローすることは、お客様のためではなく、自分たちの仕事じゃないのか?そんなことを、いまさら高らかにうたうことに恥ずかしさを感じないのだろうか・・・?と、ふと、思ってしまうのは私だけだろうか?こんなことは、当たり前の前提条件ではないのか?それがなければ、そもそも商品として成立しないし、今までできていなかったなら恥ずかしいことだし、その先のプラスアルファこそが商品であり、サービスではないのだろうか?「お客様視点に立って」とか、「保険代理店から購買代理店へ」などと言われるようになって久しいが、保険会社や保険代理店は、本当に変わっているのだろうか?
先日、ある人と食事をした時、彼はメニューを手にして言った。「こうして、個性的なメニューをつくり、店長のおすすめコースを用意する。これが、商売の基本だよね。」
「テーブルに花を飾り、店員のマナーを高め、料理そのものだけでなく、客に気持ちよく食事をしてもらうための工夫を凝らす。こうやって、あの手この手で、客に選ばれる店になるためのサービスに努める。そして、客はそのサービスを受け取り、満足に金を払う。保険の販売に足りないのは、こういうことじゃないかな。」
CMを見ながら、それを思い出した。あたりのいいコマーシャルは、どこか消費者を馬鹿にしてさえいるように感じてしまう。実際には、馬鹿にするつもりなどなく、まじめに消費者の信頼を得ようとしているのかもしれない。でも、見ていて違和感を感じてしまうのは、きれいにまとめられたMから透けて見える、認識のズレだ。消費者は、これは、逆風を受けて働くセールスルレディの援護CM?と深読みする程度にはマーケティングの裏側も知っている。そんな思いが、「実際には、こんなキレイなお姉さんこないよね。」というジョークと苦笑になる。
セールスレディの仕事は大変だと思うし、個々人は一生懸命やっているのだろうと思う。それに何かを言うつもりはまったくない。問題にしているのは、CMの背景に見える売り手の「変わらない」認識だ。「それでも、保険は誰にも必要な特別なもの」という驕りのような前提に立ってはいないだろうか?これらのCMが、請求漏れや未払いの再発防止策の一環なのであれば、契約者に対しても「契約を理解し、きちんと請求しましょう」という啓蒙やメッセージが、必要なのではないか?
真の顧客志向とは、表面的なあたりのいいメッセージを送ることではなく、そんなスタンスそのものを変えることではないかと思う。そこを脱しない限り、本当に顧客の気持ちをつかみ、「お客様に選んでいただける商品やサービス」を提供することはできないのではないだろうか。もし、保険が本当に誰にも必要なものであるなら、もっと、それを生活者に響く形で知らせる工夫が必要ではないかと思う。